夏の終わりに。

私は去年V-ROCK STATIONというラジオ番組の
スタッフをしていて

それは私にとって
はじめてのジャイアンナイト以外での音楽のお仕事で

他でもないダイノジの大谷さんが紹介してくれたお仕事でした。

ちゃんとやってますよ風にしたくて
言わなかったし、書かなかったけど

本当は

私、いっつも
うまく振舞えたかどうか、役に立てただろうか
いつも緊張と不安、自己嫌悪をくりかえす日々でした。

そんな中、ラジオのゲストにCali≠Gariが決まり
ボビーさんに出合いました。

わたした名刺を見るなり、
「君はダイノジのとこの子なの?」と話しかけてくれ
「ダイノジロックフェスティバルでは、ありがとうございました」
と、どう見てもしたっぱの私に深々と頭をさげてきたボビーさん。

正直、ほぼ裏方のWEBの作業をやっていた私は、
現場ではかなり謎の人間で

(バンギャルまるだしだったし、挙動不審だった)

私に話しかけてくる方はなかなかいなかった中で

ボビーさんは何かと私に話しかけてくれました。

それがどれだけうれしかったか。

それから短い期間にもかかわらず
本当にたくさんたくさんお世話になりました。

震災後、初の仙台公演が決まった時、
偶然にもCali≠Gariの仙台公演と同じ日で
「地方公演をするのは大変なことですから。おたがいさまですから。」
と告知の協力をしてくださったこと。

ムックのアフターパーティーの時、荷物を置く場所も見つけられず
おろおろと途方にくれていた私に(←場所取りを任されていた)
自分たちの荷物をどかしてまで、場所を確保してくださったこと。

イベントのちらしをおりこんでくださったこと。

ESPのイベントで
LUNKHEADのライブを見ながら

いつかDJイベントというわくをこえて
バンドとDJがよい作用を生むような
DJがいることで音楽やバンドの入り口になれるようなイベントを
したいんです、と。

それでまた一緒にお仕事したいです、と

熱意だけでしゃべくりまくる私に
「そうか。そうか。」とうなずきながら

「君がやればいいよ。君のイベントなら協力するよ。」って言ってくださったこと。

本気なのか、本気じゃないのか
どうして.ただのでしゃばりバンギャルの私にそこまで言ってくれるのか

とんでもなくうれしくて
それが目標で、がんばれていました。

「次はベイキャンプで」

そういって別れたのが、鮮明に思い出せます。
あれが最後になるなんて思いもしませんでした。

あれから、いろんなことがありました。

私はやらかすことが多くて
正直もう笑って生きることも許されないのでは、
と思うこともありました。

私の勝手なんですけど、

本当に勝手なんですけど、

そういう時に
ふいにボビーさんのこと思い出して
ああ、だめだ、だめだと
生きなければ、と思ったりもしました。

最後の最後まで、
すごいものをボビーさんは残していきました。

やっぱり偉大な人です。

一緒にお仕事できたことは、私の人生の誇りであり
いまだに不思議とボビーさんがつないでくれたような
縁を感じる時があります。

人が亡くなる瞬間は二回あるっていうけど
それならボビーさんは二度と死なない人のような気がします。

大切なもの、いっぱい、いーーーーーっぱい、ありがとうございました。

私はもうイベントをやめてしまったけれど、

あなたが愛したバンドたちをずっとずっとずっと
見ていきます。